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2024年05月02日

ピザをつくる

この記事は2010.5.1の過去の記事です。

ピザをつくる全粒粉で
PIZZa生地


国際通りから58号線に向かう通りに「一銀通り」や「沖映通り」などがある。その沖映通りの「沖映」で沖縄芝居

「真玉橋由来記」が興行されていた。



10トンの水を屋上から舞台へ落とし洪水で真玉橋・まだんばしが破壊されるシーンを観せるのである。



ピザをつくるストーリー

たびたび壊れる橋を・・・「崩れない橋をつくるには七色元結(なないろむーてぃ)の女を人柱にしなさい・・・」

・・と、告げた本人が「七色の髪結び」を結っていた。

彼女は娘に人より先に話したらいけないと告げて人柱となり、崩れない「真玉橋」が完成する。

その娘が美女に育ち、侍に見初められるが、侍の両親は娘が「話せない」ことを理由に反対する。侍は「一言でもいいから両親の前で話してくれ!」 と懇願する・・・・

みんなが集まる舞台の中央の娘を見守るとき、上空からひらひらと・・・



ピザをつくるてふてふ
 が

蝶々が舞い降りてくる・・・・



思い出しただけで涙がにじむ・・・





その「興行」が終了すると打上げの会があり、芝居の表と裏方が車座になり反省と次回の公演の説明があった。
ボクも浪人中であったが、予備校に行くと言って実は労働をしていたのである。

パチンコや飲酒 「渚ランチ」が25セントだった。人気があった。

ピザをつくるその反省会の車座の中にはデッカイ 「ピザ」 というものがたくさん ひろげられていた1968年(S43年)頃のこと。



その後「雨後のたけのこ」のように全国にBOWL場ができ、「スナック」という飲食店が保健所から認可された。


「小さなスナック」でピザがメニューに加わり巷に進出してきた。





ピザをつくる沖映のオーナーが
これからは学問が必要だと我々バイト生に話してくれた。

「糸を引く」のがのっかかっていた。それが「チーズ」であることは後で知る。

「手で巻いて食べるんだよ・・・」



「ピザ ・ピッツア 」を見ると「あの頃」を思い出す。

今は釧路で住む友人の奥さんがつくってくれた「ピザ」も想い出す。





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Posted by sukebo at 06:56│Comments(3)パンと遊ぶ
この記事へのコメント
回想録として纏め上げるなら、一番sukeboさんらしくて盛り上がるところですね。

温故知新というのは自分の歴史を振り返ることではなく、歴史上の大きな出来事から学ぶことなんじゃないか、ということをついつい思ってしまうんですよね。
Posted by とんび at 2024年05月02日 13:50
新しいことは、自分が過去から学ぶこと。

歴史上も大切だろうが、自分の過去が、原点。

人はどうでもいいんです!

自分を探しに、過去を現在を、学び。

未來なんか、ボクとは関係がありません。

と、思ってもいいでしょうか・・・?

すみません!
Posted by sukebosukebo at 2024年05月02日 21:14
わかりました。
わからないけれど、わかりました。
ナルシスの神話を思い出したりしますけど、それぞれがそれぞれですね。
以前にも申し上げましたが、過去記事とアルコール関連記事には反応が難しいのでスルーが多くなります。
悪しからず。
Posted by とんび at 2024年05月02日 23:40
 
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