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2025年03月11日

3.11とラジオ放送100年

「ああ、あー、聴こえますか。ああ、あー、聴こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。……」
1925(大正14)年3月22日、東京・芝浦より発せられたこの第一声が、日本のラジオ放送誕生を告げる産声となった。

3.11とラジオ放送100年


S30年ごろ、1955年?我が家に「親子ラジオ」が入ってきて、アース線に水をかけると音がよくなると言われて、水をかけていた。
朝から晩までラジオは鳴っていた。

親子ラジオとは、1952年(昭和27年)から沖縄県や奄美群島の主な市町村においてアメリカ軍の援助資金で設置され、民間企業により運営されたラジオ共同聴取施設である。
電力事情が悪く、ラジオ受信機が高価であったため、最盛期の1958年(昭和33年)には12万台の加入があった。

中学になると、真空管の5球スーパーを作ってラジオで「松尾和子の「再会」も聞いていた。
FMチューナーも作ったが、未だFM放送局はなかった。


1959年に沖縄にテレビ局「OTV 沖縄テレビ放送」が、1960年には「RBC 琉球放送」が開局。その後、沖縄全土に公共放送を伝えられる沖縄放送協会(OHK)が1967年に誕生した。

長く沖縄の放送を支えていたのは、民放だった。

3.11とラジオ放送100年

コイルとバリコンで選局して、ダイオード・鉱石で検波して(高周波を低周波に変換して)イヤホーンで聴く。

テレビは、名犬ラッシー、ララミー牧場、ローハイド、コンバット…ジェスチャー・・・
ラジオは、夢のハーモニー、資生堂提供のミュージックリボンのテーマ曲がスリーサンズ。
マントヴァーニーのキャッチザフォーリンスター、大相撲、「心に愛がなければどんなに美しい言葉も相手の胸に響かない・河内桃子」
音楽は全てラジオから・・・・ラジオ講座の勝浦捨造・・・・

・・・アスペルガーと言われる所以だろうか?・・・・

そして3.11  鎮魂の凧あげをします。




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Posted by sukebo at 08:27│Comments(0)OKINAWA
 
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