2025年02月16日
ジョン万次郎
この記事は2010.2.15 の過去の記事です。
糸満市の大度(おおど)海岸が中浜万次郎の上陸地点であることが記されている。「ああ、万次郎は沖縄に上陸したのだった」と改めて認識した。
万次郎が琉球に上陸して、一四〇年の節目に当たる一九九一年、万次郎ゆかりの豊見城村(とみぐすくそん、現在は市になっている)に在住する何人かの有志によって「ジョン万次郎を語る会」がつくられた。
会は、「万次郎伝」の執筆を長田亮一氏に依頼し、長田氏は九一年一〇月、『ジョン万次郎物語』を同会から刊行した。
その後、会はシンポジウム、講演会など催し活動を続けている。一九九三年には、万次郎の生まれた土佐清水市と豊見城市が姉妹都市を締結し、児童生徒の交流など行うようになった。
万次郎が沖縄に上陸して一五〇年目にあたる二〇〇一年二月三日、豊見城市内で「万次郎来村一五〇年を祝う会」が開かれた。
この年、六月一二日から「沖縄タイムス」紙上で「絵物語・琉球に上陸したジョン万次郎」が一二回にわたり連載された。著名な版画家の儀間比呂志さんの文・画、神谷良昌さんの案によるものだ。
二〇〇二年五月には、万次郎から四代目の中浜博さんが、万次郎の子孫としては初めて沖縄を訪れて、万次郎が滞在した豊見城の高安家の子孫と対面した。
博さんは「万次郎が沖縄で親切にしてもらったことは代々伝わっている」と述べたという。この年、一二月には、豊見城市の市制施行記念自主企画事業として、長田氏の著書を原作にして市民劇「歴史ロマン・ジョン万次郎の夢~豊見城編」が上演された。
「ボクたち・えーまいとまん会会員も多数出演」
糸満市の大度(おおど)海岸に中浜万次郎が・・・ある意思をもって・・・上陸した。
日本は鎖国でも、琉球では対外貿易が堂々と営まれていた。
武器を持たないとナポレオンを驚かせた琉球王国を薩摩は武力行使していた。
ぺりーも琉球から日本の浦賀へ向かう。
琉球のそういう特殊な位置を・・・ジョン万次郎も知っていたと思う。
豊見城の「高安家」に世話になって・・・故郷・土佐へ帰る。
(蛇足だが、沖縄芝居の高安六郎・勝男。大相撲の「高安」は胸毛を観て・うちなーんちゅと思っていた)
咸臨丸(300トン)は勝海舟以下90名+10名(アメリカ水夫)・・・通訳:ジョン万次郎
品川から万延元年1月13日出帆3月17日サンフランシスコ到着・・・・
坂本龍馬は勝海舟やジョン万次郎と会い、「日本を洗濯する」・・・大河ドラマ「龍馬伝」はそのように展開した。
ここからは2021.7.20の記事です。
高知県観光特使の
星の王子さんの宮地さんが「誘い」で・・・

長田亮一氏が1991年10月、『ジョン万次郎物語』を刊行した。
版画家の儀間比呂志さんの画で神谷良昌さんが英語に訳した本もある。
豊見城市の市制施行記念自主企画事業として、長田氏の著書を原作にして市民劇「歴史ロマン・ジョン万次郎の夢~豊見城編」が上演された。・・・ボクたち「えーまいとまん会」も出演した。
神谷良昌さんはその頃、糸満市役所の英語ペラペラ職員・・・
かつて「もあい・エーマ糸満会」で神谷さんと居酒屋てーどぅん・竹富で「グローバル」を語りました。酒も強いいい男です。
あの頃の様子、
ジョン万次郎研究家の當眞嗣吉氏、糸満市教育委員会総務部長の神谷良昌氏、万次郎研究家の長田亮一氏、糸満市長の上原昭氏。






宮地さんと神谷さん・・・と


万次郎は漂流して糸満市大度についたと思っていたが、
バジルホールが琉球で書いた琉球地図を万次郎たちも持っていて、大度の海流まで調べて、意識的に到着した。
ベッテルハイムや牧志朝忠なども、すでに万次郎は知っていた。
14歳で遭難して、アメリカの捕鯨船に助けられ、船長の息子のように育てられて、「航海学」の和訳までする。
彼は天才だ。
神谷さん、新しい情報を、ありがとうございました。
Posted by sukebo at 07:53│Comments(0)
│エイトマン