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2025年02月21日

赤木圭一郎とジョージ君

小学5.6年の頃、姉に連れられて日活の小林旭の渡り鳥シリーズを観に行ったら、先週で終わっていて、
赤木圭一郎の「男の怒りをぶちまけろ」を観て、憑りつかれている。

赤木圭一郎とジョージ君

赤木圭一郎とジョージ君

赤木圭一郎とジョージ君


石垣中1年の2学期から真和志中へ転校した。真和志琉映で赤木圭一郎の映画を観たら、クラスの不良たちがいた。
学校で休憩時間に・・・
「じんむちょーんな」お金持ってるかと、強迫されて殴られて腹を蹴られても、痛くない・大丈夫、金的とみぞおちを守っていた。
(ボクは我慢しているが、ボクがほんとうに怒ったら「おまえシナされるよ!」と「非暴力」で耐えていた。)

・・・不良の中には英語のテキストに「読めるように書け(ルビを振る)」から、「今日も書いてくれ」と頼まれもした。

・・・いいたくないが、ボクには兄が4人いて、学生服のズボンを兄たちのお下がりで、姉がミシンをしていたので直して、
アイロンをびしっと入れて、はいていたら、女生徒が見逃すわけがない。
不良たちの嫉妬の眼差しも感じていた。


母子家庭の「ジョージ」と仲良くなり、彼が転校しても文通を続けていた。
家庭の事情で彼はまた、戻ってきた。
・・・「不良たちに呼ばれたら、俺の名前をいえ」と彼に言われてから、その後不良に殴られる事はなかった。
彼も不良の仲間だったが?あの頃の不良には「義侠心」というものがあった。

弱いものの味方・正義の味方の「勧善懲悪」はあの頃の石原裕次郎・小林旭・赤木圭一郎の日活の映画でボクは学んだ。


2年で20本の映画に出演して、1961.2.21 21歳で事故死。
(その事故車には次にかまやつひろしが乗る予定だったそうだ)

    トニーへ「合掌」









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Posted by sukebo at 07:53│Comments(2)トニー
この記事へのコメント
気持ちのままに湧いてきたものを文章にしたのが分かります。
肉声は良いですね。
YouTubeを観ました。
昔の人間は10歳ほど早熟ですね。
生きていれば、裕次郎なんか目じゃないという感じ。
女優なら原節子、男優なら赤木圭一郎という位置になっただろうに、残念。
『トニー』で沖縄そばを食べたことを思い出しました。
Posted by とんび at 2025年02月21日 09:54
ありがとうございます。
原節子・三船敏郎・赤木圭一郎は、精神に血液の中にも浸潤しているようで、
自分の身体と心を制御する「キーワード」になっています。

原節子といえば、イングリット・バーグマン。
先日の、ケビン・コスナーの「ボディーガード」には、
「サムライ・三船の用心棒」が挿入されていた。

宍戸錠も小林旭も、トニーの将来を観ていた。

ざっくばらんな、性格の割には倉田百三を読んでいたとか、丸山明宏が惚れたとか、彼の中に自分を重複?映す?入力?一心同体と感じる・カリスマです。
「明日なき男」です。

豪雪よ、さすが十日町されど十日町。
ご安全に、おーきに!
Posted by sukebosukebo at 2025年02月21日 19:37
 
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