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2024年12月06日

ユネスコ無形文化遺産に

ユネスコ無形文化遺産に

ユネスコ=国連教育科学文化機関の政府間委員会は、日本酒や焼酎、泡盛といった日本の「伝統的酒造り」を無形文化遺産に登録することを決めました。

南米のパラグアイで開かれているユネスコの政府間委員会は、4日、日本時間の5日午前4時前、日本が提案した日本酒や焼酎、泡盛といった日本の「伝統的酒造り」について審議しました。

その結果、全会一致で無形文化遺産への登録が決まりました。

500年以上前に原型が確立した日本の「伝統的酒造り」は、
▽米や麦などを蒸す、
▽こうじを作る、
▽もろみを発酵させるなど、
伝統的に培われてきた技術が各地の風土に応じて発展し、自然や気候と深く結びつきながら伝承されてきました。

こうした技術で製造される酒は、儀式や祭礼行事などにも使われ、日本文化で不可欠な役割を果たしてきたとされています。
日本酒は、国内での消費量が落ち込む一方、海外では人気が高まっています。

日本酒造組合中央会のまとめによりますと、昨年度の輸出金額はおよそ411億円と、この10年で4倍近くに増えています。

2013年に「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録されたことをきっかけに和食に合う酒として人気が高まり、現在の輸出先はアメリカや中国を中心に75か国に広がっています。

一方、国内消費は落ち続けていて国税庁によりますと、2022年度の清酒の消費量はおよそ40万キロリットルで、ピークだった1975年度の167万5000キロリットルから4分の1以下に減少しました。

石破総理大臣は「心からうれしく思う。
日本各地で人から人へと受け継がれてきた伝統的な技術を守り次の世代へ継承するとともに、国内のみならず海外の方にも『伝統的酒造り』を知ってもらい、地方創生や海外へのさらなる展開にもつながるよう関係者の取り組みを支援していきたい」というメッセージを出しました。



ユネスコ無形文化遺産に


ユネスコ無形文化遺産に

ニュースーンでも各地の造り酒屋が披露されていたが、池田・女性アナが「・・・焼酎や泡盛・・・」と発しただけで、映像はなかった。
日本酒は国内から販路を外国へ、または焼酎や泡盛にも色気を出す・・・?

ユネスコ無形文化遺産に



日本が鎖国をしていた1639~1854年の間も15世紀の第1尚氏、16世紀の第2尚氏の琉球国は海外の貿易ルートを中国・台湾・ルソン・ボルネオ・スマトラ・ペルシャ湾・紅海へもジャンク船を走らせていた。

ポルトガルが1511年マラッカを占領。琉球を「レキオ」琉球人を「レキオス」と称し、「琉球人は色白でいい身なり正直で気品が高く、婦人を買わない。奴隷も買わない。

ボクの話は脱線が多いそうだが・・・、経済学者の竹中平蔵をボロクソに批判する経済評論家の三橋貴明が「西洋人と日本人の違い」でタンパク質の摂り方が違うという。日本人は海に囲まれ魚や貝を海からとっていたが、西洋は野獣を飼いならして「四つ足」を食べていた。

権力は「奴隷」に働かせて、ボーイソプラノを維持するために「去勢」の技術を家畜から学んでいた。権力者は力で領土を広げていった。日本には「去勢」や「奴隷」の歴史はなく、朝鮮へも台湾へも中国へも日本人と同等の学問を教え学校を作った・・・云々。

1543年に種子島に異国人が来航するが、1542年に琉球にポルトガル人が漂着している。・・・

そして、琉球人がマラッカから持ち帰る”もの”はマラッカ産の”酒”が珍重された。
アグアルデンテという糖度の高い醸造酒を原料にして、アルコール度数40~65度の蒸留酒だった。

1463年朝鮮へ渡航した琉球使節は贈り物の「天竺酒」の製法を問われ「桄椰樹の漿焼きて酒となすその味香烈なり」と答えたそうだ。
(桄椰樹はサトウ椰子)
タイ米が原料の現在の泡盛とはルートが違う。

1480年(コロンブスもアメリカ大陸をまだ知らない)シャム王国からの琉球国王へは「香花酒」「香花紅酒」「白酒」「蜜林檎紅酒」などが送られた。レキオスは酒が好き・・みたい・・?

結局そこ?・・・”さけ” ですか?

「酒極まれば乱れ楽しみ極まれば悲しむ」 「史記」より。 
何事もほどほどが肝心だという、中国古典「人生に役立つ言葉100」 村山孚著

これからの「レキオス」は空を翔ぶことだろう・・・ちばりよ~。




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