てぃーだブログ › ハッピーライフイン沖縄 › OKINAWA › うちなー芝居 (終)
いつでも どこでも だれでも 安心 安全 快適な生活 ユビキタス とは?  

2022年06月17日

うちなー芝居 (終)


うちなー芝居の舞台装置に革命を起こし、伝統を支えた
「沖映」の宮城嗣吉氏

「沖映」の宮城嗣吉氏、崎山喜昌氏、そして國場幸太郎氏の三者が手を組んで立ち上げた映画館のこけら落としは日本初のカラー映画『カルメン故郷に帰る』('51年松竹 監督:木下恵介)だった。
'65年、宮城嗣吉社長は『沖映本館』を演劇専門の劇場に改造し、ウチナー芝居を支えた。

うちなー芝居 (終)

釧路の大病院の医長と吞んで、口論の末、釧路川に飛び込んで、パトカーに
救出された大宜見義夫医師。1974年にヤマハのバイク250cc単気筒で、シルクロードを
走り、朝日新聞社から「シルクロード爆走記」を出版する。
その後、NHKの「シルクロード」は1979-年から中国シルクロードを取材した。
石坂浩二のナレーション「ろぷのーる」「たくらまかん」「てんざん山脈」あのLowVoice が耳に残っている。
そして、喜多郎の音楽がよみがえる・・・・♪・・・。

おおぎみクリニックの大宜見義夫さんのお父様の友人が空手の達人「沖映」の宮城嗣吉氏である。
「鬼畜米英」ではなく「米兵はジェントルマンだ」といって、宮城嗣吉氏は轟の壕で数百人の住民を救出した。

戦争未亡人となった大宜見の母親は沖映の事務職として働くことで、戦後の混乱期を乗り越えたそうだ。
餓鬼大将の大宜見が医学部をめざはすほどの勉強の原点は、仏壇の前で泣いている母を見たからだ。
自分の通知表が仏壇・とーとーめーにのせられていた。〈とーとーめーには凄いスピリチュアルな力が備わっている)
爆走小児科医の人生雑記帳・著者:大宜見義夫から。

4月に沖縄本島へ上陸した米軍は最終地糸満まで3か月、鉄の暴風を降らせた。
6月の終わりに・・・
日本軍が負けを悟り、降参すれば、広島も長崎にも、なにも起こらなかった。

もうそろそろ、5か月が過ぎようとしている「ウクライナ」の戦争・・・
テレビジョンで、どれだけの人の死を観れば、幸せがくるのか・・・?
うちなー芝居「丘の一本松」を泣き、笑いながら、観ることが出来るのは、何時か?

ぷーちん、死なされるよ、戦争を止めれ!
沖縄はもうすぐ「慰霊の日」がくる。・・・・(合掌)。





同じカテゴリー(OKINAWA)の記事
梅雨は・・・
梅雨は・・・(2024-05-10 06:55)

4.28
4.28(2024-04-28 07:13)

ドストエフスキー
ドストエフスキー(2024-04-22 07:03)


Posted by sukebo at 08:30│Comments(2)OKINAWA
この記事へのコメント
勉強になりました。

でもね、

>「米兵はジェントルマンだ」と
余裕のあるときはジェントルマンでいられたこともあるのでしょうが、時と場合によりけりだと思いますね。
ジェントルマン出ていけ〜と叫んでいる人もいたりして・・

>日本軍が負けを悟り、降参すれば、広島も長崎にも、なにも起こらなかった。
それはないと思いますがねぇ。
トルーマンは原爆の威力をどうしも実戦で確かめたかった。
そうしてずっと、原爆使用は致し方なかったとアメリカ人も世界全体をも欺いてきたのだと思いますよ。

アルコールを断った上で書いて欲しいと思いました。
どうしても酒のニオイがしてしまうのが・・・ざんねん。
Posted by とんび at 2022年06月17日 09:04
はーい、いつもおーきに!
まさに、アルコールぷんぷんです。
・・・書き手の思惑がわからない・わかります。
田山花袋でしたか「布団」結局、布団の「匂い」を嗅ぐのです・・・?
しんたろーの「太陽の季節」も、理解出来ない。しようとも思わない。
だから、ボクは「ノンフィクション」が好きかも。
しかし、素面の時は、どのような書き方をすれば、みんなが快く読んでくれるのか?
七転八倒したりしています。
ドナルド・キーンが「雪国」の作家や三島を褒めていますが、「盾の会」や「天皇」を
ボクは「理解出来ない。しようとも思わない。」
それでも、「日本人」のつもりです。
「たすけてくださーーーい!」
Posted by sukebosukebo at 2022年06月17日 21:37
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。