80年前の5月沖縄では
5月15日は、沖縄が日本に復帰した日、
1972年5月15日、沖縄の施政権が米国から日本に返還されました。
80年前の5月沖縄では
3月26日に米軍が慶良間島に上陸して、住民の「集団自決」があった。
4月1日に沖縄本島に上陸してその日のうちに飛行場を占拠して、5日には読谷でも「集団自決」があった。
7日米軍は名護へ(戦艦大和撃沈される)13日には辺戸岬まで到着した。
16日伊江島へ上陸して21日に伊江島を占拠した。
沖縄では5月中旬から雨季に入る。えぐられた土地は泥沼と化す。
5月21日。首里の日本軍司令部に各兵団の参謀長が集まって、首里で「玉砕」覚悟の最後の戦闘を続けるか、
南部に撤退しあくまで持久戦を続けるのか。
司令部が置かれた首里へ向かって侵攻するアメリカ軍と抵抗する日本軍。
5月21日 … 夜、奇襲攻撃を試みてシュガー・ヒル東部を占領する。
「沖縄 シュガーローフの戦い 米海兵隊 地獄の7日間」
5月21日から小やみなく降りつづいた豪雨は、泥沼にも似た濁流の海に変えた。
戦車はぬかるみにはまり、水陸両用のアムトラックさえ泥沼を乗りきることはできなかった兵士の服もブーツも足も体も、つねにずぶ濡れだった。
睡眠をとることも不可能に近く、心身両面のストレスが海兵隊員をむしばみはじめていた。
朝日がのぼると、海兵隊員や日本兵の死体、飛び散った肉片などで、「泥の上に散らばったり、谷間の壁の岩に張りついたり、人間の肉片は、あたり一面に散らばっていた」体が真っぷたつになった男、切断された腕や脚、取れた頭部などがゴロゴロしていた。死体を踏まないように・・・
ドナルド・キーン
しかし、最後の沖縄は、私の体験のなかでは一番悲劇的なものでした。
そこで見たものはもう二度と見たくありません。
大田海軍少将指揮下で、ほとんどが戦闘訓練をうけたことすらない、地元の沖縄県民による飛行場設営部隊 (防衛隊)で構成されていた。
5.31米軍が首里を占領する。
関連記事