沖縄の遺骨収集
NHK WEB ニュースから、
開南中の校章が残っていたガマの遺骨 2遺族DNA鑑定申請へ
04月25日 14時03分
沖縄戦で多くの生徒や教職員が命を落とし、その後、廃校になった
「開南中学校」の校章が残されていたガマなどから見つかった遺骨について、新たに2人の生徒の遺族がDNA鑑定を申請することになりました。
校章は、ことし2月、糸満市のガマで、遺骨収集ボランティアの浜田哲二さんと律子さんたちのグループが見つけたもので、校章が残されていたガマなどから遺骨も見つかっています。
開南中学校は、沖縄戦で生徒190人や教職員が命を落とし、その後、廃校になった、当時、
県内で唯一の私立の旧制中学校で、遺骨は生徒の可能性があるとして、これまでに3人の生徒の遺族が、厚生労働省にDNA鑑定を申請することにしています。
こうした中、24日、新たに2人の生徒の遺族がDNA鑑定を行うための申請書類を作成しました。
琉球政府の資料によりますと、鉄血勤皇隊や通信隊に動員された68人の生徒のうち66人が犠牲になったということです。
鉄血勤皇隊に動員された開南中学校の生徒たちは、80年前の1945年3月27日に卒業式を行って合流することになっていましたが、3月23日から始まった激しい空襲による混乱で、当時の詳しい状況も分かっていません。
沖縄タイムス H14 6.23 慰霊の日
旧制開南中学の沖縄戦犠牲者を開南健児之塔に刻銘
「最後の一人まで」 上原信榮 さん
11月2日
午後11時23分
80歳をもって
永眠
「エーマ糸満会」の重鎮でもあった、糸満トヨタの信栄さんと・・
一緒に・・・・・・呑みました・・・ね
さようなら 信榮さん
・・・・ 合掌 ・・・
よんてんにーはち 4.28
「サンフランシスコ条約」
1952年4月28日から沖縄は日本国ではなかった。
民族屈辱の日と言われた。
固定相場で1ドル=360円だった。
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