富田 勲 、新日本紀行
この記事は2010.10.23 の過去の記事です。
野国総監が中国から「芋」を伝え、琉球から薩摩へ・・・
サツマイモを薩摩では「唐芋」と呼ぶらしい。
その「芋」を伝えた「青木昆陽の碑」が千葉県「幕張」にある。
「いも」の話ではない。
「幕張」に友人がいて、そこの波を打つ畳の部屋で
「新日本紀行」なるNHKの番組を知る。
沖縄にはまだ、「OHK・沖縄放送協会」ですらなかった。
KSBK 琉球放送が立ち上がっていた。
ボク達は、1ドル=120円(軍票B円)を使っていた。
沖縄が「植民地」であった頃・・(
今も変わらず!!!)
パスポートを作ってヤマトの学校に
青雲の志しで上京した頃。
35ドルの仕送りで・・・(固定相場制は1ドル=360円だった)
音楽と放送と映画と共に・・・ボクたちは酒を呑んできました。
江川真澄さんのエレクトーンを聴いていた頃・・・
「コッカスパニエル」という犬がいることも・・・・
PS: 幕張(まくはり)の友人とは・・・男である。
中国の富裕層が
日本円の
両替所を
望んでいる
CMから逃げて、ラジオ体操の歌、昼の憩い、深夜便の始めと終わりの曲に、心を許しながら・・・・
きょう23日は「霜降」だというのに、石垣島は32.2度記録。
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