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不発弾は負の遺産

2009年01月14日



























不発弾3万件処理全回収までに80年 

県内の不発弾処理件数は、1972年から2007年度までの復帰後36年間で3万24件、重量で約1758トンに上っている。07年度は781件、約25トンが処理された。近年の処理件数は年間600―800件で推移している。
 国や県、市町村などの関係機関でつくる沖縄不発弾対策協議会によると、今もなお推定で約2500トンの不発弾が地中などに残されている。不発弾処理を担当する自衛隊関係者は、すべての回収が終わるまで「約80年かかる」としている。
 不発弾処理については、土嚢(どのう)や防護壁設置など処理作業の半額を自治体が負担していたが、09年度から国の交付金などを充て、沖縄だけの特例措置として自治体の負担はゼロになる。ただし、適用は公共事業で発見された不発弾に限られ、民間工事は対象外。県や自治体は、約4割の不発弾が民間工事で見つかっているとして、民間工事への適用拡大を求めている。

過去の不発弾事故2009年1月14日琉球新報

1948年8月 伊江島で戦争当時の不発弾を島外に運び出す作業をしていた米軍弾薬処理船(LCT)が爆発。民間の連絡船と同じ伊江港を利用していたため乗客、船員、出迎えなど死者106人、負傷73人、8家屋が全焼
66年10月 金武村(当時)海兵隊演習場で薬きょう拾いの女性が不発弾爆発で死亡
74年3月 那覇市小禄の私立幼稚園横の下水道工事現場で不発弾爆発。4人死亡、34人重軽傷。家屋損壊80戸、車両被害41台
75年5月 知念村(現南城市)知念で護岸の上で白煙が噴出し、突然爆発。小学生2人が顔面にやけど
75年9月 伊良部町(現宮古島市)佐良浜で不発弾切断中に爆発。死者1人
76年7月 浦添市内間で不発弾に小中学生が石を投げつけ爆発。4人が重軽傷
78年4月 豊見城村(当時)我那覇で雑木を焼却中に不発弾が爆発。1人けが
78年7月 南風原町新川で原野火災が発生し不発弾が爆発。消防隊員2人けが
84年11月 嘉手納町水釜で不発弾を可燃処理物のドラム缶に投げ入れて爆発。小学生が足に裂傷
87年1月 那覇市長田で旧日本軍砲弾を解体作業中に爆発。1人死亡
89年4月 伊江村東江上で草刈り機が不発弾に触れ爆発。1人死亡
91年12月 糸満市大里で廃材焼却中に爆発。1人けが
95年 宮古島の住宅地で50キロ爆弾が爆発、民家の門柱などを壊した
97年11月 嘉手納町水釜の民家庭先で草刈り中に不発弾が爆発。1人が負傷
2001年6月 具志頭村(現八重瀬町)安里の土地改良工事現場で作業員が削岩作業中、地中で爆発して白煙を上げている不発弾を発見。けが人なし
01年6月 西原町マリンタウンプロジェクト埋め立て地で整地作業中のブルドーザーが黄りん弾の不発弾を踏み爆発、運転していた男性が頭部に軽傷。同月だけで同じ現場で4件の発火、爆発事故が発生
08年7月 那覇市首里末吉町の工事現場で不発弾らしきものから煙が出ていると110番通報

不発弾処理「やっと」 09年度予算財務省原案2008年12月20日

20日の2009年度予算財務省原案内示で、不発弾処理に伴う土嚢(どのう)・防護壁設置など処理にかかる経費が、民間工事を除き新年度から全額国負担となった。これまで2分の1を拠出していた市町村負担がなくなることに、関係市町村からは「戦後処理は国がすべきだという県民の願いがかなった」と喜びの声が聞かれる一方、民間工事が除外されたことに「公共と民間で違いがあるのはおかしい」と引き続き要求していく考えを示す首長も。沖縄科学技術大学院大学は、08年度予算比3割増の計上で、北部地域の活性化に期待がかかる。老朽化する那覇市立古蔵小、八重瀬町立具志頭小、宮古島市立北小の3校の全面改築が盛り込まれ、関係者は子どもたちの教育環境の向上に期待した。
 陸上自衛隊は12月1日までに県内で137万8060発の不発弾を回収したが、依然、約2500トンの不発弾が残っていると推定。すべての回収が終わるまで「約80年かかる」といわれる。長引く戦後処理は、沖縄戦当時、激戦地だった市町村を中心に、重い負担となってきた。
 県市長会会長の翁長雄志那覇市長は「これまで不発弾処理費用は、市町村が半額を負担し、財政を圧迫していた」と述べ、「必要額の措置は市町村にとって大きな喜びだ」と政府や県など関係機関に感謝した。
 1979―2007年度までの不発弾発見届け出件数が2352件に上る糸満市の上原裕常市長は「地上戦が激しかった糸満市では、多くの人が犠牲になり、負の遺産の不発弾がいまだ多く眠っている。人命にもかかわるので、国が責任をもって全額負担してくれることは大変喜ばしい」と話した。
 07年度の1年間で111件の不発弾が見つかり、いまもなお発見件数が多い西原町の上間明町長は「戦後処理の一環として国が行うべきだという県民の願いがかなった」と歓迎。「現在のように開発などで見つかった不発弾を処理するだけでなく、積極的に探査する手だても必要ではないか」と対策の拡充を求めた。
 一方、民間工事が除外されたことに、南風原町の城間俊安町長は「これまでも民間の業者が家やマンションを建てる際に不発弾を見つけた場合、申請を受けた市町村が同じように処理に当たってきた。公共と民間との間で国の負担に違いがあるのはおかしい。(公共も民間も)当然一緒だと考えていかなければならない。もし違いがあるのなら、また要求することを考えていかないといけない」と話した。

伊江島米軍弾薬処理船(LCT)爆発事故

 米軍統治下の1948年8月6日に、伊江島で起こった米軍弾薬処理船(LCT)爆発事故直後の現場写真が、県公文書館が米国国立公文書館で収集した資料から見つかった。船から約90メートル離れた家屋が破壊された様子や、360メートル先まで飛び散った船の破片、散乱する死体など、102人の死者を出した爆発のすさまじさを表している。
 資料は、琉球軍高級副官の書簡で、48―49年の間に行われた米軍の事故調査報告委員会の調査内容が記されている。
 処理船には5インチロケット砲弾約5000発(125トン)が積まれ、爆発したことも明らかになった。米兵らの証言や、軍の規則に照らし合わせた項目別の調査の結果、同委員会は「爆発を引き起こした原因は特定できなかった」とし、責任の所在を明らかにしないまま、調査を終えていることも分かった。
 同資料は6日から、南風原町新川の県公文書館で公開されている。


<用語>伊江島米軍弾薬処理船(LCT)爆発事故
 1948年8月6日、米軍が沖縄戦時の不発弾や未使用爆弾を処理船に積み込み、島外に運び出す作業をしていた際に、荷崩れを起こし弾薬が爆発。処理船は、民間の連絡船と同じ伊江港を利用していたため、死者102人(村内63人、村外39人)、負傷者73人(41人、32人)を出す大惨事となった。
 その後、米軍は11人の作業員に葬祭料として7000円(B円)を支給しただけだった。

 このとき亡くなった・・・・「見たことがない父」・・・を友人から「酒の場」で知らされた・・・・

父を知らない彼が
  どんな「父」をしているか・・・
     気になる。


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